72 称えるのは成績
4年に1度しか開催されないワールドカップ。親善試合とは違う選手達の魂と魂のぶつかり合い、スピードとスピードの戦い、正確性の競い合い、正常心を保ち戦意強靭な精神性の継続。「特別」の2文字だけでは表現し切れないものがそこには確実に存在している。そんな特別な試合だからこそ一戦一戦勝利を積み重ね結果を得なければ追うべきはずの別の世界はチームとして見えて来ないのかもしれない。次の段階を見る為にワールドカップ予選、本戦においては試合内容もさる事ながら第一に結果を貪欲に追い求めるべきだ。でなければ何の為の4年間だったんだ。選手にとって2006年ドイツワールドカップは悔やみきれない過去かもしれない。しかし、あの悔しさをもう一度思い出して欲しい。悔いを残さない為にも
前日本代表監督オシムが2003年ジェフ千葉監督就任の際に岡社長に語ったとされる言葉を引き合いに出したい「限界には限界はありません。限界の定義は何だと思いますか?限界は個々の選手の目標で、限界を超えれば、次の限界が生まれるのです」今まで選手達が自分、そしてフットボールとどのように向き合ってきたか最も試される機会が真剣勝負であるワールドカップ予選、本戦なのではないだろうか。そして、選手に前日本代表監督オシムの言葉を借りて贈りたい「限界を超えて下さい」と。そして、新たな自分を発見して下さい。それが出来たなら日本には新たな未来が刻まれるはずです。その瞬間を、自分もこの目にしっかりと焼き付けたい。
前日本代表監督オシムが2003年ジェフ千葉監督就任の際に岡社長に語ったとされる言葉を引き合いに出したい「限界には限界はありません。限界の定義は何だと思いますか?限界は個々の選手の目標で、限界を超えれば、次の限界が生まれるのです」今まで選手達が自分、そしてフットボールとどのように向き合ってきたか最も試される機会が真剣勝負であるワールドカップ予選、本戦なのではないだろうか。そして、選手に前日本代表監督オシムの言葉を借りて贈りたい「限界を超えて下さい」と。そして、新たな自分を発見して下さい。それが出来たなら日本には新たな未来が刻まれるはずです。その瞬間を、自分もこの目にしっかりと焼き付けたい。
67 不死鳥
「後がなくなった」中村俊輔が語っている様に、「第三次予選を甘く見ていた。みんな敗戦によって目が覚めた」遠藤保仁が語っている様に、今回のオマーン戦は試合へ望む気持ちが生んだ勝利だと言えるのではないだろうか。
ボールをゴール前にシンプルにあげる事を岡田監督が推奨しているのなら、皆さんもご存知の通りシュートする選手の動き方はもちろんの事シュートする選手の負担を軽減し得点の確立を上げる上でも周りの選手の動き方の方がさらに重要になってくる。
話がそれてしまうが以前日本代表ジーコ監督時代に召集されていたフォワード柳沢の動き方を思い出してしまう。
それはさて置きキリンカップ、コートジボワール戦での決勝点。ディフェンダーを引き連れた大久保の動き出し、動き方、選手同士の共通認識とイメージから生まれた玉田のシュート。
崖っぷちのオマーン戦でのコーナーキックからの先制点。ディフェンダーを引き連れた闘莉王の動き出し、動き方から生まれた中澤のヘディングシュート。ゴール前でいかに1対1を作れるか。もしくは守備人数より多くの攻撃人数スタイルを作れるか。守備陣形が整う前に仕掛けられるか。この事が点を生む可能性を高くする。
動くチェスとでも言おうか。チェスにもよく似ている。相手より先に幾つもの手を持ち王をいかに早く追い込むか。先にチェックメイト出来るか。次から次へと手を講じ相手を攻める、時には相手の攻撃から身を守る。サッカーはこの繰り返しだ。そしていかに有利に闘うかは頭脳が必要となってくる。
体が自然に動くのも練習によって脳が記憶しているからこそ動くのだ。それにもまして松井大輔のひたむきさ、がむしゃらさは選手達の動きを感化させたのではないだろうか。
この試合では以前、日本代表に必要なキーワードとして自身のブログでも書いた連動、連続、展開、打開、継続が出来ていたのではないだろうか。そんな感想を持った試合だった。
ボールをゴール前にシンプルにあげる事を岡田監督が推奨しているのなら、皆さんもご存知の通りシュートする選手の動き方はもちろんの事シュートする選手の負担を軽減し得点の確立を上げる上でも周りの選手の動き方の方がさらに重要になってくる。
話がそれてしまうが以前日本代表ジーコ監督時代に召集されていたフォワード柳沢の動き方を思い出してしまう。
それはさて置きキリンカップ、コートジボワール戦での決勝点。ディフェンダーを引き連れた大久保の動き出し、動き方、選手同士の共通認識とイメージから生まれた玉田のシュート。
崖っぷちのオマーン戦でのコーナーキックからの先制点。ディフェンダーを引き連れた闘莉王の動き出し、動き方から生まれた中澤のヘディングシュート。ゴール前でいかに1対1を作れるか。もしくは守備人数より多くの攻撃人数スタイルを作れるか。守備陣形が整う前に仕掛けられるか。この事が点を生む可能性を高くする。
動くチェスとでも言おうか。チェスにもよく似ている。相手より先に幾つもの手を持ち王をいかに早く追い込むか。先にチェックメイト出来るか。次から次へと手を講じ相手を攻める、時には相手の攻撃から身を守る。サッカーはこの繰り返しだ。そしていかに有利に闘うかは頭脳が必要となってくる。
体が自然に動くのも練習によって脳が記憶しているからこそ動くのだ。それにもまして松井大輔のひたむきさ、がむしゃらさは選手達の動きを感化させたのではないだろうか。
この試合では以前、日本代表に必要なキーワードとして自身のブログでも書いた連動、連続、展開、打開、継続が出来ていたのではないだろうか。そんな感想を持った試合だった。
52 変化と信念
1998年ワールドカップ初出場から、日本は確実に、いや少しづつかもしれないが強くはなってきているであろう。
歴史の浅い日本チームは今、日本化の模索をしている段階なのかもしれない。オフト監督、加茂監督、岡田監督、トルシエ監督、ジーコ監督、オシム監督、監督が変る度にチームの色を変え進化はしている。しかし、日本サッカー協会の総括はいきているのか?そこに日本化への信念はあるのか。
監督交代時に何を反省し何が課題であったのかが明確化され、それが今、積み上げられているのであろうか?
なぜ、こんな疑問を持つのか?人は年月が経つと忘れてしまう生き物だからだ。
トルシエ時代から振り返って見ると「守備に重きを置いた管理サッカー。」ジーコ監督時は「攻撃で個を生かす自由サッカー」、そして「考えて走る」オシムサッカー。簡単なフレーズであげるとこういう所だろうか。確かに、こうやって辿って見ると日本サッカー協会の目指そう、目指したい、こうすれば強くなるのでは?という意図が見えてくる。しかし、4年置きに繰り返される監督交代、監督任せでチームはゼロにリセットされ常勝チームになり得る日本化の芯がそがれている様な気がする。日本サッカー協会が考える日本代表のあるべき姿、譲れない芯は何なのか?そして行き着いたオシムサッカーの意味?
監督交代で左右されない芯を生み、日本代表チームの共通認識が植えつけられる事で常勝チームへと変貌するのではないだろうか。そして、歴史を積み上げる事ができるのではないだろうか。そんな事を思ってしまう。
歴史の浅い日本チームは今、日本化の模索をしている段階なのかもしれない。オフト監督、加茂監督、岡田監督、トルシエ監督、ジーコ監督、オシム監督、監督が変る度にチームの色を変え進化はしている。しかし、日本サッカー協会の総括はいきているのか?そこに日本化への信念はあるのか。
監督交代時に何を反省し何が課題であったのかが明確化され、それが今、積み上げられているのであろうか?
なぜ、こんな疑問を持つのか?人は年月が経つと忘れてしまう生き物だからだ。
トルシエ時代から振り返って見ると「守備に重きを置いた管理サッカー。」ジーコ監督時は「攻撃で個を生かす自由サッカー」、そして「考えて走る」オシムサッカー。簡単なフレーズであげるとこういう所だろうか。確かに、こうやって辿って見ると日本サッカー協会の目指そう、目指したい、こうすれば強くなるのでは?という意図が見えてくる。しかし、4年置きに繰り返される監督交代、監督任せでチームはゼロにリセットされ常勝チームになり得る日本化の芯がそがれている様な気がする。日本サッカー協会が考える日本代表のあるべき姿、譲れない芯は何なのか?そして行き着いたオシムサッカーの意味?
監督交代で左右されない芯を生み、日本代表チームの共通認識が植えつけられる事で常勝チームへと変貌するのではないだろうか。そして、歴史を積み上げる事ができるのではないだろうか。そんな事を思ってしまう。
51 監督
4月3日、日本代表がワールドカップアジア地区予選前のキリンカップ戦での相手チームが決定したとして開催概要を発表した。対戦相手は5月24日に西アフリカの強豪コートジボアールと、5月27日に南米の雄パラグアイと対戦決定
前日本代表監督オシムとの決別を表明した岡田監督が、今会見では「例えば、だれかが動いたらこういって…という約束事は言わないようにしてきた。でも相手が持ったらこういう形で、というのはある程度与えることにした」と岡田監督はチーム趣旨を語ったという。
過去についてどうこう言うのはどうかと思うが監督交代劇にふれてみたい。オシム前監督が病に倒れてからマスメディアもサッカーに関連する関係者も時間がないと言っていた印象を自分は持っている。本当に時間がなかったのだろうか?と考えていた。なぜなら、結果が伴わずワールドカップ予選中の監督交代劇など起きたら、元の木阿弥となってしまう。おそらく、経緯から考えて監督交代などの度胸を日本サッカー協会は持ち合わせていないだろうし、決定した時点で新監督と心中するつもりなのだろうと思っていた。だからこそ慎重に選択すべきだったのであろう。これは決して岡田監督を否定している言葉ではない。
それと、時間がないとして一辺倒の考えを持ってしまった事はこれから改めるべきではないだろうか。これは日本の政治にも言える事だと思う。すぐ表面に見える物だけを捕らえ、考える行為をせずサッカーファンならずとも世間一般が時間がないとする考えを受け入れ認識し流されてしまった事で生またとも言える岡田監督だと自分の中では認識している。個別の選定理由も理解している、経験に勝るものはないという事も充分理解している。しかし、時代に逆らう選択だったのではと今になって感じたりもしている。
前日本代表監督オシムの継承を第一に考えるなら共にチームを作り上げ、オシムの事を少しでも理解していたであろう大熊コーチでも良かったのではと交代劇の最中、思っていた。それに第3次アジア地区予選ぐらいは勝ち抜くポテンシャルは持ち得ているだろう。と選手自信に期待を抱いていた。今だから言えるのかもしれないがオシムのアドバイスも聞けただろうし、チームに反映する事も可能だった。
それが岡田監督に決定してからは岡田監督自信が前監督オシムのサッカーにプラスマイナスをし最も日本に適したサッカーを構築するものだと認識していた自分が甘かった。そしてバーレーン戦で吹き飛んでしまった。と共に監督としての体をなしていない事に期待を裏切られた気がした。過大評価かもしれないがオシムは選手を、そしてチームをうまくコントロールし試合に臨んでいたと自分の中では認識している。
しかし、真のサッカーファンであるなら今の日本代表を、選手を、監督、チームスタッフを一喜一憂する事なく長い目で見る事も必要だし叱咤激励するのも大事になって来た。と言える。
5月24日、5月27日が最良の結果になる事を願い応援しよう。そして目標であるワールドカップの地で戦う選手の勇姿を想い12番目
の選手として戦おう。
前日本代表監督オシムとの決別を表明した岡田監督が、今会見では「例えば、だれかが動いたらこういって…という約束事は言わないようにしてきた。でも相手が持ったらこういう形で、というのはある程度与えることにした」と岡田監督はチーム趣旨を語ったという。
過去についてどうこう言うのはどうかと思うが監督交代劇にふれてみたい。オシム前監督が病に倒れてからマスメディアもサッカーに関連する関係者も時間がないと言っていた印象を自分は持っている。本当に時間がなかったのだろうか?と考えていた。なぜなら、結果が伴わずワールドカップ予選中の監督交代劇など起きたら、元の木阿弥となってしまう。おそらく、経緯から考えて監督交代などの度胸を日本サッカー協会は持ち合わせていないだろうし、決定した時点で新監督と心中するつもりなのだろうと思っていた。だからこそ慎重に選択すべきだったのであろう。これは決して岡田監督を否定している言葉ではない。
それと、時間がないとして一辺倒の考えを持ってしまった事はこれから改めるべきではないだろうか。これは日本の政治にも言える事だと思う。すぐ表面に見える物だけを捕らえ、考える行為をせずサッカーファンならずとも世間一般が時間がないとする考えを受け入れ認識し流されてしまった事で生またとも言える岡田監督だと自分の中では認識している。個別の選定理由も理解している、経験に勝るものはないという事も充分理解している。しかし、時代に逆らう選択だったのではと今になって感じたりもしている。
前日本代表監督オシムの継承を第一に考えるなら共にチームを作り上げ、オシムの事を少しでも理解していたであろう大熊コーチでも良かったのではと交代劇の最中、思っていた。それに第3次アジア地区予選ぐらいは勝ち抜くポテンシャルは持ち得ているだろう。と選手自信に期待を抱いていた。今だから言えるのかもしれないがオシムのアドバイスも聞けただろうし、チームに反映する事も可能だった。
それが岡田監督に決定してからは岡田監督自信が前監督オシムのサッカーにプラスマイナスをし最も日本に適したサッカーを構築するものだと認識していた自分が甘かった。そしてバーレーン戦で吹き飛んでしまった。と共に監督としての体をなしていない事に期待を裏切られた気がした。過大評価かもしれないがオシムは選手を、そしてチームをうまくコントロールし試合に臨んでいたと自分の中では認識している。
しかし、真のサッカーファンであるなら今の日本代表を、選手を、監督、チームスタッフを一喜一憂する事なく長い目で見る事も必要だし叱咤激励するのも大事になって来た。と言える。
5月24日、5月27日が最良の結果になる事を願い応援しよう。そして目標であるワールドカップの地で戦う選手の勇姿を想い12番目
の選手として戦おう。
46 サッカースタイル
「正直、オレになってからすぐに予選があったので、大きく変えるのはリスクがあった。これまでは踏襲してきたことが多かったが、これからはオレのやり方でやらせてらう」。強い口調で岡田監督は述べたと言う。
どうなのだろう。今までの期間は監督としての体をなしていなかった事を認めているとしか思えない言葉ではないだろうか。あえて、発表して個人を鼓舞している様に思える。発表しなければ前監督オシムの影響力が残ったまま、結果責任を負わなければいけない。岡田監督自身が納得いかなかったのではないか?そう考えてしまう。しかし、オシム前監督の影響力が残るであろう事を念頭において引き受けた監督業ではなかったか?
日本には、どのようなサッカースタイルが向いているかと言う話がしてみたい。自分が向いているのではと思う日本のサッカースタイルは、やはり前オシム監督が薦めて来た「人が動く、ボールが動く」が最も日本には適しているのではないかと思う。ボールを回す事によってリズムを作り主導権を握る。組織的に機能させ打開する。組織を前提に個人の能力を持って打開する。これが適度に交わりバリエーションを生む。
以前も述べたが「人が動く、ボールが動く」というのはサッカーゲームスポーツにおいては究極ではないだろうか。なぜなら、相手選手からみれば不規則に個々が連動しボールが動き、そしてスピードが加われば、予測と目視から成り立つ人間の行動に置いては、最も捕らえずらくなる事が言えるからだ。
日本スタイルは必要か?日本のサッカーの未来を考えるなら必要であろう。もう一つ上の高みを望むならトップ3と渡り合える組織力が必ず必要となる。個々の力にも限界があり、そこを組織力でカバーしなければ、もう一つ上は見えてこないだろう。前監督時のジーコ日本代表を見てもトヨタカップでACミランと浦和レッズの試合を見ても言える事ではないだろうか。ビッグクラブに至っても組織力の上に成り立っているからこそ個の力が際立ち、勝ち続ける事が出来る。
スタイルにこだわりすぎだと言う人もいるかも知れないがチームのベースがなければ限界がある。その限界を超える為にスタイルを確立すべきなのだろう。
岡田監督は前オシム監督の推し進めてきた「考えて走るサッカー」「人が動く、ボールが動く」サッカー。日本化を否定し、新たな岡田サッカー、日本スタイルを模索、実行し次戦のピッチ、横浜で表現しようとしている。
その花はワールドカップ地区予選中に花開くのであろうか?どちらにしても不安が残る。
どうなのだろう。今までの期間は監督としての体をなしていなかった事を認めているとしか思えない言葉ではないだろうか。あえて、発表して個人を鼓舞している様に思える。発表しなければ前監督オシムの影響力が残ったまま、結果責任を負わなければいけない。岡田監督自身が納得いかなかったのではないか?そう考えてしまう。しかし、オシム前監督の影響力が残るであろう事を念頭において引き受けた監督業ではなかったか?
日本には、どのようなサッカースタイルが向いているかと言う話がしてみたい。自分が向いているのではと思う日本のサッカースタイルは、やはり前オシム監督が薦めて来た「人が動く、ボールが動く」が最も日本には適しているのではないかと思う。ボールを回す事によってリズムを作り主導権を握る。組織的に機能させ打開する。組織を前提に個人の能力を持って打開する。これが適度に交わりバリエーションを生む。
以前も述べたが「人が動く、ボールが動く」というのはサッカーゲームスポーツにおいては究極ではないだろうか。なぜなら、相手選手からみれば不規則に個々が連動しボールが動き、そしてスピードが加われば、予測と目視から成り立つ人間の行動に置いては、最も捕らえずらくなる事が言えるからだ。
日本スタイルは必要か?日本のサッカーの未来を考えるなら必要であろう。もう一つ上の高みを望むならトップ3と渡り合える組織力が必ず必要となる。個々の力にも限界があり、そこを組織力でカバーしなければ、もう一つ上は見えてこないだろう。前監督時のジーコ日本代表を見てもトヨタカップでACミランと浦和レッズの試合を見ても言える事ではないだろうか。ビッグクラブに至っても組織力の上に成り立っているからこそ個の力が際立ち、勝ち続ける事が出来る。
スタイルにこだわりすぎだと言う人もいるかも知れないがチームのベースがなければ限界がある。その限界を超える為にスタイルを確立すべきなのだろう。
岡田監督は前オシム監督の推し進めてきた「考えて走るサッカー」「人が動く、ボールが動く」サッカー。日本化を否定し、新たな岡田サッカー、日本スタイルを模索、実行し次戦のピッチ、横浜で表現しようとしている。
その花はワールドカップ地区予選中に花開くのであろうか?どちらにしても不安が残る。







